昨日は一日中八王子まつりを飛び回っていた。午後からはインターンの熊野君と8時間歩き通しだった。市制90周年の八王子まつりは天気にも恵まれ、夜、山車、神輿が集まるぶつかりで最高潮を迎えた。
各神輿や山車で同級生や知り合いが笛を吹き、太鼓をたたく様に祭りの雰囲気を十分に感ずることができた。最後は平岡町のお仮屋に地元の神輿を迎え、町内頭の吉水さんの締めで今年の夏祭りは終わった。
家に戻りテレビを付けると、長野県知事選の速報が入ってきた。解散も含め3度目の知事選に臨んだ田中康夫知事が自、公の県連が推す村井候補に8万近くの差で破れた。
6年近くの田中長野県政は波乱に富んだものだった。田中氏一流のパフォーマンスで県民、大衆にアピールする劇場型の県政だった。ガラス張りの知事室もヤッシーも自分は好きではないし白けた感じがしていたが、閉塞感漂う既得権益擁護の官僚型県政の流れに飽いた県民ニーズを捉え、それまでの流れを変えた点に田中県政の歴史的な意義があったのだと思う。
ただ、近くにいる人がどんどん離れていくのを見ると、「田中康夫は富士山。遠くで眺めると美しいが、近くで見るとゴミだらけ」とのコメントに妙に納得するものがある。
田中知事が作り出した正の流れを逆戻りさせることなく、次のリーダーにはまた別の役割が求められる。その時、その時の役割を担って誕生し、退場する、これが地方自治体の首長の宿命なのだろう。
しかし、有権者は移ろいやすい。こうした選挙では有権者の微妙な意識の変化を捉えて如何に絵を描いて見せることができるかが勝負を分ける重要な要素となる。
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