選挙とは…
とある宴会場の正面玄関に「○○を励ます会」(?)という立て看板が架かっていて、そこに、そのまんま東が着るようなスタッフジャンバーの男が2人。2人に声を掛けながら、私は中に入っていく。
エレベーターに乗ろうと進んでいくと、そこにもスタッフ。しかも顔見知り。近づいて行くと、ぎこちなく顔を背けられてしまった。かまわず、そばまで行って、「ご苦労さん、大変だね。隠れなくてもいいのに」と声をかける。すると、バツが悪そうに苦笑い。顔会わせたくなかったんだろうね~。きっと。
エレベーターを会場フロアで降りると、そこは、次の市議選出馬予定者の集まり。しかも受付が自分の出席する新年会受付の真横という配置。私の方は他の来賓と受付横の椅子で待つようにとのことで、結局、市議予定者受付の真横で待機することに。
見るともなしに見ていると、結構、知り合いがいるもんだ。中には、「えっ、この人も !?」なんていうのも。選挙って言うのは分からないもんだ。ナイーブな人間は人間不信になっちゃうだろう(ナイーブな人間は選挙なんかやんないか)。
招待された新年会会場へ向かう途中、集会出席者の知り合いに声を掛けていった。すると、だいたい、声を掛けられた方は、ぎょっとするみたい。一様に「なんで、お前がこんなところにいるんだ!」という表情。好きできているわけではありません。ここを通らないと自分の会場に行けないの。
2時間ほどして、私の出席する会が締まっての帰り。市議候補予定者のスタッフお見送りの花道を通るような形で会場を後にした。
さて、市議選は、一番身近な選挙。候補者が親戚だったり、同級生だったり、近所のおじさんだったり、ともかく候補者の顔が見える選挙。その為、盛り上がる。一方、どうしても地縁、血縁、友人縁etc.の縁をたどる選挙となる。
どの選挙も縁をたどるのは同じなのだろうが、国政選挙などと比べるとその比重が極めて高いのが実態だ。50~60人の候補が、様々な縁を最大限にたどってお願いをする競争の様相を呈する。当然、その縁はクロスするから、1人の人にあっちからも、こっちからも声がかかるケースも多い。「大丈夫、あなたのことは応援しているから」と言われ続けた人が、「あっ、、、こんなところ(他候補の集会)にいる!」なんてことも、でてくるわけだ。
でも、ポスターが貼ってある、会に来ているといっても、最終的には、1人1票、自分の気持ちで投票する。これは、誰にも邪魔ができず、その人が判断して投票するわけ。
そうした意味では、人に出会えるチャンネル(紹介、駅で見かけた、議会中継を見た、ビラを手にした、ブログ見たetc.)はどん欲に大切にしつつも、最後は、政策や中身で選んでもらえる、そんな人間でいたい、と政治に携わる者としては思っている。
ただただ、知り合いだから頼む、では、ちょっと寂しすぎると思う。小なりと言えども、いやしくも選挙に出ようと言う人間は、自らの考えと、何をしたいをハッキリと訴えていきたいものだ。
人の気持ちを相手にする選挙を再認識した気がする。
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