議会 初日
平成20年第1回市議会定例会初日を迎えた。今日は副市長の選任等の人事案件の議決、平成19年度の補正予算等の提案説明などが行われる。
3月28日の会期末まで長丁場がスタートである。
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平成20年第1回市議会定例会初日を迎えた。今日は副市長の選任等の人事案件の議決、平成19年度の補正予算等の提案説明などが行われる。
3月28日の会期末まで長丁場がスタートである。
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皆さん! 横浜線って乗ったことあります??
八王子 ~ 東神奈川間に横浜鉄道が開通したのが明治41年9月23日。
今年(平成20年)9月23日、JR横浜線は開通100周年を迎える。幕末期以降、八王子から横浜へは輸出用の絹が運ばれ、その道はいつしかシルクロード(絹の道)と呼ばれるようになった。
当時、八王子の鑓水地区には、絹で財をなした鑓水商人たちが豪壮な屋敷を構えていた。今も小泉屋敷や絹の道資料館に行けば、往時の豪商達の暮らしを窺い知ることができる。また、国道16号の山美容学院の手前を曲がれば、木々が生い茂る当時の絹の道があり、これからの季節散策をするのにいいコースでもある。
このように八王子と横浜は絹を通じて浅からぬ縁がある。そして、八王子~横浜を繫ぐ鉄道線が横浜線である。
この「ハマ線100周年」を沿線の都市(横浜、町田、相模原、八王子)が協力して盛り上げていくことができないか、友人の斉藤たつや横浜市議の呼びかけで関係各市の議員が発起人として集まった。
昨日の顔合わせでは、100周年にSLを走らせられないか、スタンプラリーやシンポジウムはどうだろう?など活発な意見交換が行われた。そして、兎も角、100周年に向けた議員連盟をつくろう!ということになった。
代表を斉藤議員、事務局を相模原の阿部義博議員にお願いすることとなった。
横浜市の緑区で横浜線100周年に向けた事業が予定されているが、10年間お世話になった横浜市役所を退職する時、「横浜と八王子の架け橋となりたい」と挨拶をしたことが改めて思い起こされた。
横浜線開通100周年は都市間で連携できる良い機会である。これを切っ掛けに八王子と横浜、そして沿線各市の市民レベル、行政レベルでの連携が進展することを期待したい。。
皆さん、がんばりましょう!!
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癌に侵されながらも家族と共にさわやかに生きた八王子出身のプロウインドサーファー 飯島夏樹の半生を描いた映画「Life 天国で君に会えたら」のDVD http://www.life-tenkimi.jp/dvd/index.html が発売に。
発売のその日に、夏樹さんのお母さんが、さっそく、私の元へDVDを送ってくれた。
2枚組のDVDは飯島夏樹のメモリアル映像やオリジナルブックレット付。観ると、また感動してしまう。
夏樹さんの残されたお子さんが、逞しく、健やかに育っていくことを願う。。
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まちづくりに於けるブランドを考えているなかで、全国的な温泉地としてのブランドを築いてきた由布院を訪ねてきた。
大分にも行ったことがなく、由布院は、なんとなく高級個人向け旅館が集まる温泉地、映画祭や音楽祭など全国的に有名となったイベントが行われているまち、旅館の主数人でこうしたまちづくりを仕掛けてきた歴史を有するところ、程度のイメージは持っていた。
現地に行く前に、ネットで由布院の歴史を紐解き、参考になる書籍がないかと探してみると、、、木谷文弘『由布院の小さな奇跡』(新潮新書)というのがあり、一とおり読んでから出かけた。
当日、大分空港からバスで由布院に着くと、ぱらぱらと粉雪が舞いはじめた。
平成17年に3町が合併し湯布院町は消滅し、由布市となったこのまち。合併を巡っては、賛成ー反対の激しい議論とそれに続く政治的な動きがあったようだ。
由布院は標高450メートルほどの由布岳の麓に広がる盆地である。古来より盆地のあちこちで温泉が湧出し、現在も温泉孔の数は800を越え日本第2位の湧出量とのこと。昭和30年代、数件の旅館と田んぼがあるだけの寒村が、現在は年間来訪者400万を超える 観光のまちとなり、その名は日本全国、更には海外にまで届いている。
当時の青年町長 岩男頴一氏、溝口薫平、中谷健太郎らの若手旅館経営者らの活動により、今日の由布院のまちづくりとブランドが築かれてきたことは有名な話である。また、湯布院映画祭、ゆふいん音楽祭、牛食い絶叫大会などのイベントが全国に向けて情報発信され、由布院の文化的なイメージを形作ってきている。
実際、磯崎新氏設計のウッディな周辺にとけ込んだ駅舎に立って町を眺めてみても、観光シーズンを外れた雪降りの中、数人づれの観光客が行き交い、人力車のこぎ手が客待ちをしているほか、どこにでもありそうな田舎の(但し、駅前に商業ビルやパチンコ、金融機関等はなし)駅の風景である。少し、白馬駅の雰囲気に似ているか。。
事前に、まちづくりの歴史や公と民の果たしてきた役割、地域ブランド化の取り組みについて聞きたい旨を伝えておいたのだが、市の観光課の衛藤さんが熱心に対応してくださった。
到着後の、13時~18時まで、そして翌朝は宿舎に9:15分に迎えに来てくれて、観光総合事務所で電車出発の12時まで、対応してくれ、その間、由布院のまちくづりに関わる何人かの方と意見交換や話し合いができたことがとても良かった。
大分人は異常に親切なのだろうか?? その晩、大分出身の元インターン生にメールを送ったほどの 熱心な対応に感謝である。。 この2日間での由布院の、特に由布院人のファーストインプレッションが、自分の由布院の印象を形作る、ということを心においた観光部署に携わる衛藤さんの気持ち、おもてなしの心、なのだろう。
今回、特に知りたかったのは、由布院ブランドを築いてきた歴史のパーツとなっている各イベントはどのように発案され、どんな人たちが関わり、運営され、住民にはどのように受け止められているのだろうか?その中で行政はどんな役割を果たしているのか? ということにあった。現地の景色に触れ、空気を感じ、現地の人と意見交換する、、、このことで肌で感じる これが今回のコンセプト。。
「第二の別府となるな」を合い言葉に、生活観光地をコンセプトにクアオルト構想を掲げたのも、当時の数人の若き旅館主、そしてそれに理解を示した町長。その考え方は、まちづくりの共通理解として脈々と受け継がれているように感じた。
そして、由布院の財産は、旅館主をはじめとする町の経済主体が、まちがどのような姿でいるかが自分たちの問題としてとても重要である、という認識を持っていること、その上で、民間レベルで、まちづくりにかかわるグループがいつも、いくつも活動していること、さらに、よそ者を受け入れる雰囲気があること、こうした風土ではなかろうか。
NPOや市民との協働等が声高に叫ばれて久しいが、由布院では何十年も前から自然に、このことが実現していたのかも知れない。そして、行政はそれをフォローする役割に徹しているようである。(各イベントの市の補助金は一律45万円)。
由布院市議の小林華弥子氏 http://www.geocities.jp/kayakoyufuin/index.html とも1時間程度の短時間話をしたのだけど、多岐に亘った話は、今の自分に響いて楽しい時間となった。
衛藤さん、フローラハウスのおばちゃん。。。お話をできた由布院の皆さんには感謝である。規模や置かれた状況は違っても、地域の特色を生かしてブランドを築くのがまちづくりだとすれば、八王子の将来のヒントも必ず今回の訪問の中にあると思う。
いつの日か、再訪し由布院のイベントに参加し、その後の飲み会で酒を飲めるのを楽しみにしている。。
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今日、晴天の中、東京マラソンが行われた。テレビには、東京のど真ん中を走り抜けるランナーや次々とゴールに入る満足げな顔が映し出されていた。
ふと、第1回東京シティマラソンと銘打った大会に参加したときのことを思い出した。今月の24日は八王子の駅伝大会。この第1回大会にも出場したなあ。。。
今年の夏は、八ヶ岳登山にチャレンジしてみようかな。。
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