Yes, We Can. オバマ勝利
08年アメリカ大統領選の結果は民主党のバラク・オバマが勝利した。自分も年だけ?は同じなのだが。。
ブログで初めてオバマのことに触れたのは2007年2月。次のように書いた。「ブッシュ政権はイラクで躓き、昨年の中間選挙選挙で民主党に敗北。来年の大統領選に出馬表明し注目を浴びるオバマは「北朝鮮との対話が重要」と語ったという」(2007年2月14日 両角ブログ)。
それから1年9か月。長丁場を走り切ったオバマは、米大統領選史上に残るドラマを刻み11月4日に勝利した。
この間、アメリカの政治について感じたことがいくつか。1つはアメリカ大統領選は、エンターテイメントであり、巨額の資金と長期にわたる選挙戦を戦う 国民参加の一大イベントであるという点。
以前も書いたが、草の根民主主義を通して大統領としてのタフな資質を問われるのだ。
もうひとつ。それは政治における演説の重要性。オバマは演説の巧みさで彗星のように頭角を現したといわれている。
You Tubeでオバマの演説を聴いた。指名獲得前のアイオワ州での党員集会でのビクトリースピーチ。本戦に向けての08年8月のニューハンプシャー州でのスピーチ。そして、11月4日、数十万人の聴衆を前に行った大統領選勝利のスピーチ。
それぞれ、14分、13分、17分の演説。前2者のスピーチはあたかもコンサート会場のような雰囲気。オバマを見つめる目、目、、、、 なんども歓声がおこり、静まるまで絶妙の間がとられる。人種や政党により分断された現状を静かに説き、その後、韻を踏むような強い調子で希望と変革と1つのアメリカを訴えると、聴衆は熱狂モードに。
十分英語が聞き取れるわけでもない自分が聴いていても胸が熱ってくる。たぶん、会場にいれば間違いなく いってしまっていることでしょう。細かい政策を語っているわけではなく、理想を語っているのだけれど、それが胸を打つ、というか、「そうなんだ、そうなんだ」と演説に酔ってしまうところがある。
それは、オバマの生い立ちや風貌、声色、しゃべりのリズム、間やしぐさ によるところが大きい。
11月4日の演説は、コンサート会場というよりも、厳粛な宗教儀式の祭典のような雰囲気。聴衆は彼を見つめ、その眼には憧れや希望が宿っている。涙している人も多い。
選挙戦を通じて、オバマは完全にカリスマになった。オーラを発散しながら米国の希望と世界の期待を背負うこととなった。
大統領選を通じ、アメリカ合衆国という国の奥深さと「言葉が人を動かす」ということ、政治における演説の意味を改めて知ったような気がする。
Yes, we can. Yes, we did. ちょっとシビレました。
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