書評

2008年12月 4日 (木)

宮城大蔵 『「海洋国家」日本の戦後史』 (ちくま新書)

以前買って本棚にあったのを手にとってみた。結果、面白く一挙に読めて、目から鱗の再認識も。

第二次大戦時、遅れて登場してきた帝国主義国日本は、永らく欧米列強に植民化されてきたアジアに進出。一時的に西欧諸国は駆逐されたが、日本の敗戦により、植民勢力の空白が生じたアジアでは独立に向けた奔流がほとばしる。

1955年、4月開催されたバンドン会議は「新しいアジア・アフリカよ、生まれ出よ!」というスカルノ インドネシア大統領の宣言で開幕した。ここに招待された日本は「反共最大の大物」として振る舞うべきか、「アジア復帰の絶好の好機」として会議に参加すべきなのか。
歴史の舞台裏はスリリングであり、そこに後世の政治学者がスポットを当てる。

世界的に進行する米ソ冷戦。その後の中ソ対立。そうした中、経済復興を遂げつつある日本は再度「南進」する。敗戦による挫折と戦時のアジアへの後ろめたさから、国際政治舞台での活動に制約を抱える日本はどのようにアジアに関わっていったのか。

アジア諸国の欲求が脱植民地化から開発へと移るなか、戦後日本は「経済指向と非政治化」という方針でこの地域に臨んだ。著者は、国際政治の舞台で存在感が無く自国経済利益オンリーという、これまでのネガティブなものから、開発によるアジアの豊かさ実現という流れを支えるという「政治」パワーを発揮したと、日本の役割を積極的に評価している。そして、海洋国家日本の進むべき道を指し示す。

戦後、アジアで起こってきた出来事、特に「海洋アジアの要」インドネシアとの関係を中心に、国際政治と日本の国内政治状況が良く理解でき、しかも記述の仕方が物語り調で飽きない。

新書という気軽に読める体裁ながら、日米英豪などの解禁された機密外交文書に基づく調査が裏付けとなっており、国際政治の舞台での日本の足取りが確認できる良書。

戦後アジア史を知る入門書としても、これからの中国やアメリカとの関係を考える上でも、参考となる。

☆     4つ

 

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2008年10月29日 (水)

竹中平蔵『竹中式マトリックス勉強法』(幻冬舎)

新聞の広告を切り抜いてバインダー式の手帳に挟んでおいた竹中平蔵『竹中式マトリックス勉強法』(幻冬舎、950円+税)を購入。

2時間ほどで読了。中身はあまり濃くない。著者流に言えば、働きながら20日くらいで書き上げたのではないかな。

勉強を4類型して、自分がその座標軸のなかのどこにいて何をすべきか考えるべきといったことはなるほどと思いつつ、多くの人が考えていることでは。しかし、切磋琢磨して勉強することによって自らの価値を高めていくというのは楽しいこと、というのは共感する。

何かを意欲的に始めようという人には切っ掛けづくりになるかも。それと、小泉政権のエンジンである経済財政諮問会議を切り盛りした経験を通して国家運営も逆算による工程表が有効というのは印象的であった。

ただ、読みごたえでは、以前に読んだ『構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌』(日経新聞社出版局)と比ぶべくもない。

本書で一番心に残ったのは、「今までの日本社会ではありえないほどの強烈な学歴社会の到来」を予見した箇所。


ま、恐れず、怯まず、幾つになっても前向きに勉強し自分を磨き続けていきましょう。

講評  ☆ 2つ

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2008年8月15日 (金)

梯久美子 『散るぞ悲しき』(新潮文庫)

  63回目の終戦記念日

  大学の K 先輩に「すばらしい本だし、両角さんの活動の参考にもなると思うから是非読んでみて」と勧められた 梯久美子著 『散るぞ悲しき』(新潮文庫)を読了した。

  大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したこの文庫、終戦時、本土防衛の最後の砦としての硫黄島戦を闘った栗林忠道総指揮官を扱った戦記である。戦記といっても戦争ドキュメンタリーと言ったものではなく、栗林中将の家族へ送った戦場からの手紙を中心に当時の状況が描かれている。この結果、栗林という人間の目から物事を見る展開がとられており、極めて人間くさい物語ともなっている。

  ひとりの夫、父親として家族を思う人間栗林と絶望的な状況で徒手空拳圧倒的な米軍に臨む軍の総指揮官としての栗林。温かい家庭人の姿と緻密、毅然とした軍人としての2面性。余りにもかけ離れた日米の戦闘力の差。

  これらが全て歴史に残る硫黄島の戦いの激烈と悲惨さを際だたせる。全編を通じ、戦争指導層の偏狭な視野と柔軟性に乏しい発想が日本を壊滅に導いていった主要因ではないかとの主張が滲んでいる。真面目に家族や国を思い命を落としていった一般市民と兵隊、後方で画を描き檄を飛ばす無能な指導者、当時の日本とはこうした国ではなかったのか。

 「散るぞ悲しき」の辞世を「散るぞ口惜し」に改ざんして発表した大本営。読んでいても怒りを感じると共に欺瞞に満ちたこの組織には目を覆いたくなる思いである。

  2万余の硫黄島日本軍はほぼ全滅し米軍にも多大な死者が出た戦闘の模様は正に地獄であったという。このような戦闘が絶えて久しい今の日本に暮らす我が身の幸運を感じないわけにはいかない、と同時にこの地で闘わざるを得なかった人々の運命の残酷さを思った。

 今なお夥しい数の遺骨が眠るという硫黄島。島で命を落とした人々に深く哀悼の意を捧げたい。

  講評  ☆  4つ    

  厳粛な気持ちになります  k先輩ありがとうございました。

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2008年5月27日 (火)

土屋彰久『自民党が負けない50の理由』(自由国民社)

  視察のお供にと、図書館で本を物色。

  ほんとうは、6月議会の一般質問のネタ探しを兼ねて開架をプラプラしていたのだが、これは、という本がなく、足は何とはなく政治の書架へ。そして、お気楽そうなタイトルの3冊を借りて見た。『自民党が負けない50の理由』と元日本共産党政策委員長 筆坂秀世氏と右翼団体 一水会顧問 鈴木邦男氏との対談『私たち、日本共産党の見方です』、選挙コンサルタント井上和子氏の『裏 選挙物語』。

   この中で、一番面白かった土屋氏の書を採り上げる。

 『自民党が負けない50の理由』。4年ほど前に書かれたこの本。タイトルからして、お気楽、受けねらいの感があるが、軽妙にシャレを交えて短文50のパートで自民党政治を論じている。

 この手の政治本は、例えば宝島別冊とか、うようよ出ているのだが、結構面白くて一気に読んでしまった。中身は、著者流の独断とデフォルメで物事を単純化しているのだが、そのことで話が分かりやすくもなっている。

 著者が論じているのは自民党であるが、実は日本の政治、もっと言えば、日本の社会や文明である。

 それぞれのパートについて、これはちょっと違うんでないの、という点も当然あるが(特に選挙の実態については十分に分かっていないかも)自分は結構合点がいった。農耕民族として引き継いでいるDNAが、国民性の在り方に投影しているということや、自分が政治の場で感じている様々な事象、例えば敵を作って団結を固めるであるとか、そのための小学校のイジメ(笑)のようなこととか、政権維持に向けた求心力と融通無碍さなど、を、その背景を含め理論化している。

  小選挙区を現代の藩に見立てて、衆議院議員、都道府県議、市長村議、後援者などの役割と立場を示した所などは、ほとんど自分の見方と同じ、かつ、小選挙区制の構造を良くあぶり出していると思う(このパートは結構笑えます)。また、加藤紘一の「加藤の乱」を分析したコラムはちょっとうならせるものがある。

 そう、この本はおちゃらけ政治本のような体裁をまといながらも、実は、柱をそのままに書き直せば学術論文となる、そんな政治学の書でもある。

 著者の見方には賛否は在ろうが、日本の文明・社会を見るときの視座とは成りうる。

 まあ、でも、どこで治める者と巻かれる?者の線が決まるのだろう。血縁を含め上層部では階層の固定化が進んでいるんだろうけど、財界も官僚も政治家も、結局はある程度誰でも成るチャンスがある、そんな階層流動性のある日本社会を体現している政党・体制、それが自民党だ。

 著者が指摘するように、自民党的政治の限界もまた明らかになってきている今、人々がぬるま湯から飛び出て、新たな選択ができるのか? それを受け止める体制をつくることができるのか?日本の政治が大きな岐路に立っていることは間違いない。

 

  講評   ☆  4つ

 

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2008年5月 7日 (水)

『シッコ SiCKO』 マイケル・ムーア

 連休中にマイケル・ムーア監督の 『シッコ』 http://sicko.gyao.jp/ をレンタル。

 アメリカの医療制度の貧困さと社会の矛盾を白日の下にさらした映画。

 国民皆保険制度が整っていない合衆国では、国民各自が民間医療保険に加入。しかし、加入条件は厳しく、たとえ加入できても審査が無茶苦茶厳しく保険が支払われない。あるいは保険会社や機構が認めない治療はできない(支払いが出来ないため医師が治療しない)実態を風刺を込めて描いている。

  その結果、指を2本切断しても、支払い能力から1本のみの接合をおこなうこととなる。映画では、お隣のカナダ、そして、イギリス、フランスの医療制度を引き合いに、地球上で最も豊かな国アメリカの医療制度が如何におかしな事となっているかを浮かび上がらせる。兎も角、アメリカは資本主義の国なんですな(アメリカ人は自由が好き、管理されるのは大嫌い、だからソシアリストも虫ずが走る)。

 折しも、民主党大統領候補指名レースが過熱していることもあり、国民皆保険制度導入に力を尽くしたヒラリーの援護射撃ともなっているような。

 日本では、75歳以上を対象とした後期高齢者医療制度が悪評プンプンのなか、導入され、大きな議論が巻き起こっている。増え続ける医療費をどのように負担して安心できる制度を維持していけるのか?社会保障でカバーする基礎部分と医療を選択できる民間保険のミックスを指向しつつあるように見える日本の医療について考えさせられた。
(日本の医療制度は英仏と米の中間で徐々にアメリカ型になりつつあるようだ)

 9・11の英雄である消防士が仮想敵国キューバで救われるラストは、強烈なアイロニーが効いてマイケル・ムーアの真骨頂である。 

   ☆ 4つ半     

   後期高齢者医療制度や米大統領選を紐解く上でも   お奨め

  

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2008年1月 7日 (月)

森永卓郎 『年収崩壊』 角川SSC新書

 「年収300万円時代を生き抜く経済学」の著者、ミニカーマニアの森永氏の新書。

 以前に、この人の講演にいったことがあるのだが、ユーモアも効いていて、堅苦しくなく経済の話を聞けておもしろかったのを覚えている。

 著者は「今や年収300万円もままならない時代である」ということを各種のデータを挙げて説く。大企業の利益はあがっも、それは正社員から非正社員へのシフトによって成し遂げられ、格差は正社員 vs. 非正社員の間で、大企業 vs. 中小企業間でそれぞれ深刻化していることを明らかにする。そして、これらの格差の原因を政策、特に近年の構造改革路線に求める。

 数字には納得するが、日本経済が国際競争力を保ち、個々人の体感豊かさも増す構造改革路線に変わる代案を語ってほしかった。  

  氏は、人生のコースとして ① 勝ち組になろうと思って勝ち組になる、② 最初からあきらめてめて負け組になる、③ 勝ち組を目指しながら負け組になる と3つを提示する。③ が一番惨めで一番多いパターンとして、がんばらない生き方を提案している。

  後は、HOW to 資産運用 のような話。日本人は「これから」ばかりを考えて「今を楽しむ」ことが苦手という感覚があるのだが、変わりゆく日本社会の中で、真の幸せや豊かさとはを考える切っ掛けを与えてくれる本である。

  森永氏の話は「身の丈に合ったスローライフを」といった主張なのだが、氏自身は、テレビ出演や各地での講演活動、そしてベストセラーの印税収入と、とても年収300万円とは思えないので、そこのところ今一説得力に欠けるというのが実感(笑)。。

 講評   ☆ 3つ   

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2007年11月 1日 (木)

寺島実郎 『二十世紀から何を学ぶか』(上・下)

 『二十世紀から何を学ぶか 上 -1900年への旅 欧州と出会った若き日本 』
 『二十世紀から何を学ぶか 下 -1900年への旅 アメリカの世紀、アジアの自尊』寺島実郎著-新潮選書 を読んだ。

 新潮社の雑誌に連載していたものを2007年、選書として取りまとめたもの。

 サブタイトルの通り、1900年前後、上巻は欧州の地で奮闘した日本人、下巻はアメリカとアジアとの関係に生きた日本人を通し歴史の中で日本とはを問うたもの。伝記のように人物を取り上げながら、当時の日本の置かれた状況と世界との関係を俯瞰する。

 取り上げられている人物は夏目漱石、南方熊楠、広瀬武夫、森鴎外、クーデンホーフ光子そして同時代を欧州の地に生きたピカソ、マルクス、ケインズ、ヒトラー、フランコetc

 クラーク博士、新渡戸稲造、内村鑑三、鈴木大拙、津田梅子、野口英世、高峰譲吉、大島浩、岡倉天心、ガンディー、チャンドラー・ボーズ、魯迅、周恩来etc.

 伝記兼旅行記のような気軽さで、当時の世界と日本の置かれた状況を人物のあゆみから浮き彫りにする本書は、気軽に時代をタイムスリップしながら歴史を見る目を養うことも出来るものとしてお薦めできる。

 国運と自分の人生が一体化できた時代の日本人の真摯な生き様に感動する。と共に、中国が台頭する21世紀のアジア・太平洋地域のなかで日本がどのような進路を取るべきか、日本と中国(アジア)、アメリカ、欧州との関係を考える視座を与えてくれる。

 ☆ 5つ

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2007年8月20日 (月)

日本の論点編集部編 『10年後のあなた』 文藝春秋社

  今日は都庁で三議連の平成20年度東京都予算への要望活動に参加。三議連とは自民党三多摩議員連絡協議会のこと。多摩島しょ担当の副知事をはじめ都庁幹部に要望書を提出した。

  その後、都庁内の書店に立ち寄る。都庁内の書店はスペースは広くないのだが、読みたい本は結構揃っている。役人向け品揃えという感じなのだが。実は寺島実郎の 『二十世紀から何を学ぶか』 上・下を入手したかったのだが生憎これがなく、代わりに手に取った平積みの新書がこれ。 

  タイトルは何やら予言めいているが、日本の論点編集部の既刊本 『10年後の日本』の個人編である。「日本の少子高齢化と格差化がこれからどんなことになり、私たちの身にどう降りかかってくるのか、可能な限りの予測を試みた」とある。各章の冒頭に人生のシュミレーションとして年代ごとのケースが示されている。

 読了後の感想としては、、、、  う~ん ん   暗いねぇ。。10年後は。
 読み進める内に、そして読み終わってみて、、わわ、、こんな人生にならないように準備しなきゃ とチジミ思考になっていくような気がした。

  人口減、超高齢化、格差拡大、、、これらを背景に個々の人生に襲いかかってくる現実。リストラ勧告を受けて後の10年、格差はますます拡大し、下流に落ちていくシュミレーション。子どもの教育も親の経済力次第。しかも投資をした子どもの学歴ももはやそれほど役に立たない。正社員とフリーターとでは年収とんでもない差が。 日本はますますアメリカのように階層や地域格差のある社会になっていく展望を示しているのだ。

  こどもは結婚せず、親にパラサイトして退職後の資金を食いつぶしていく。そうこうするうちに年老いた親の介護が降りかかる、、、   

 親子・家族関係の希薄化で、子や孫に囲まれての生活は望み薄。

 「論点」編集部編だけに、様々なデータに基づいた将来展望であり、ありそうなストーリーなのだろうが、団塊世代以下は茨の道で、団塊世代もだいたい奥さんから離婚を言い渡される、、みたいな話が多い。

  将来に望や夢がもてないと、守り、備えということが人々の意識の前面に上がってくる。中学受験ブーム、資格取得熱、個人投資家の増加など すべて自ら身を守るための自己防衛に人々が走っているとも言えよう。

 そうした意味では、社会が安心感を人々に与えていないということか。将来の混沌が不安を呼んでいる。政治はこうした不安を取り除かなければならない。

 確かにとは思う点は多いが、少しはポジティブな展望も示せないものか。

 とりあえず、10年後に悲惨な目にならないように、まずは家庭の絆をしっかりと。


 奥さんを大切にすることから始めましょう。

 ☆ 3つ半

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2007年6月14日 (木)

三浦展『格差が遺伝する!』(宝島社新書)

  著者は『下流社会』の三浦展氏。マーケティングアナリストの肩書きの著者が、小2~6年生の子どもを持つ母親1443人を対象に行ったアンケート結果をもとに教育の格差再生産を明らかにしたもの。

   教育問題に力を入れている良くしゃべる同僚議員が読んでいたものを拝借した。お手軽に読める(2時間コース)。多数の質問とそれに対応した図表をもとに、子どもの成績と他の要因との相関関係を提示する。

 例えば、「子どもの成績は親の経済力に比例する」、「食生活が成績の上下を分ける」ことなどを明らかにしている。なんとなくそうかな、ということをデータを用いて分析し、世の親であれば興味のある項目で一気に読んでしまう。

  多数の設問別カテゴリーと成績(上、中の上、中の中、下)の比較と、そこからの分析は単純。この単純さが取っつきやすい一方、ちょっと深みに欠ける印象にも繋っている。 

   ただ、結果は、ほぼ納得のいくもの。著者は、家族一緒に夕飯を食べることや一緒に会話を楽しむこと、家族で旅行に出かけることと成績との因果関係を通して、「生活の質」の格差が階層の固定化を生むと主張している。そして、サービス業の365日、24時間化にともない人が休んでいるときに働く人間が増え、こうした人たちには、いくら国家が「家族を大切にしよう」「子育ては親の責任だ」と声を上げても、そのための時間がないと主張する。

  その上で、「国全体として、夜中働くのをやめるとか、土日はしっかり休むことを徹底しない限り、そういう仕事をしている人は取り残されてしまう。この矛盾を解決しないと、いくら家族や食育の大切さを論じていてもむなしい。子どもの成績の格差を生み出しているのは、実は「収入の格差」だけではなく「生活の質の格差」なのだ」と言っている。ここが肝だ。

 教育、しつけ、青少年問題等々、ベースに横たわっているのはこうしたことであると思う。生活の質=豊かさを実感できる社会、家族が一緒に食事できる、母親がしっかりと子育てに時間をとれる、仕事にも復帰できる---その為の通勤の仕方、働き方、休日の在り方等々のシステムを見直さない限り、本当の質の高い生活は実現しないのだ。その中には国民全体の価値観をも見直す作業も含まれるのだろうが、、このシフトを実現することは政治の大きな課題であると思う。

 最後の母親4タイプ - のび太ママ、スネ夫ママ、しずかちゃんママ、ジャイアン母ちゃん。  自分の妻は…「のび太ママ」だな。

  ささっと読めて、ちょっと考えさせられる本。あなたは、そして奥さんは何タイプ? 夫婦で読んでみてはっと。。

   

   ☆  4つ

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2007年1月 6日 (土)

加藤紘一 『テロルの真犯人』(講談社)

  昨年12月23日、ばったりとお会いした H さんから表題の本を頂いたのは以前書いたとおり。奥付を見ると、2006年12月18日 第一刷発行とあるから、まさに出版したてのホヤホヤを頂戴したのだ。封印しようと思ったのだが、結局、年内に読んでしまった。なかなか面白かった。

  これから忙しくなる(世の中もう選挙モード全開です)ので、書評は当分書けそうもないが(でも、高坂正堯「国際政治」が読みかけ)、、

  さて、著者は、元自民党幹事長、お公家集団とも揶揄された自民党派閥宏池会の元会長、加藤紘一。というより、2000年に森内閣不信任案に同調しようとした「加藤の乱」の殿様、と言った方が分かり易いか。加藤の乱というと、なんとなく奥州の豪族が中央に反旗を翻すも鎮圧される、といった図が浮かんでくるのは自分だけか?

  この本は、昨年8月15日に自宅、事務所に放火され全焼させられた加藤氏が、そのことをきっかけとして自身の言動を振り返り、これからの日本の在り方を展望したもの。小泉首相が終戦の日、靖国神社へ参拝するかで世間が注目する中、これに対してマスコミを通じて批判を繰り返していたのが加藤氏。

  前半は、氏の生い立ちから東大を経てチャイナスクールの系譜に連なった外務官僚時代。大平正芳氏との出会いと政界入り、加藤の乱までの自叙伝的なもの。

  本書の中心部分は第6章、第7章。氏の歴史観、靖国に対する考えを披瀝する。そして、戦前と比較し、現在日本の「闘うナショナリズム」の台頭を危惧。政治は決してナショナリズムを煽るべきではないと小泉手法を批判する。小泉政治の功罪はそれぞれにあると思うが、氏の切り口は一つの見方であると思う。 

  そこで、健全なナショナリズム=「誇りのナショナリズム」のもと日本を過たないよう、「教育」と「地域コミュニティ」の再構築が鍵であると主張する。

   確かに一国のリーダーたるのもにとってナショナリズムは慎重に扱うべき、留意すべきものなのだと言うことは良く分かる。過去の歴史を見れば、このことは明白である。

  本書の靖国に関する部分は、加藤氏の歴史観が語られ、多くのページが割かれている。その考えに対する賛否はともかく、「遊就館」は一度じっくりと見学せねばならない場所だと思った。どのような立場をとるにせよ、過去について知識を得て、自分なりのしっかりとした考えを持つことが、靖国問題を語る時の最低条件だろう。

  加藤氏が自らの信念に基づき発言することは勇気あることだと思う。この時期に本書を上梓したのは、政治家生活の来し方を見つめる集大成の意味もあったのではないか。

  途中、政治家語録は埋め草的で、余り意味無いのでは?

  ところでテロルの真犯人は、何者だったのでしょうか? 読んでみて下さい。

  ☆   3つ半

     

 

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