書評

土屋彰久『自民党が負けない50の理由』(自由国民社)

  視察のお供にと、図書館で本を物色。

  ほんとうは、6月議会の一般質問のネタ探しを兼ねて開架をプラプラしていたのだが、これは、という本がなく、足は何とはなく政治の書架へ。そして、お気楽そうなタイトルの3冊を借りて見た。『自民党が負けない50の理由』と元日本共産党政策委員長 筆坂秀世氏と右翼団体 一水会顧問 鈴木邦男氏との対談『私たち、日本共産党の見方です』、選挙コンサルタント井上和子氏の『裏 選挙物語』。

   この中で、一番面白かった土屋氏の書を採り上げる。

 『自民党が負けない50の理由』。4年ほど前に書かれたこの本。タイトルからして、お気楽、受けねらいの感があるが、軽妙にシャレを交えて短文50のパートで自民党政治を論じている。

 この手の政治本は、例えば宝島別冊とか、うようよ出ているのだが、結構面白くて一気に読んでしまった。中身は、著者流の独断とデフォルメで物事を単純化しているのだが、そのことで話が分かりやすくもなっている。

 著者が論じているのは自民党であるが、実は日本の政治、もっと言えば、日本の社会や文明である。

 それぞれのパートについて、これはちょっと違うんでないの、という点も当然あるが(特に選挙の実態については十分に分かっていないかも)自分は結構合点がいった。農耕民族として引き継いでいるDNAが、国民性の在り方に投影しているということや、自分が政治の場で感じている様々な事象、例えば敵を作って団結を固めるであるとか、そのための小学校のイジメ(笑)のようなこととか、政権維持に向けた求心力と融通無碍さなど、を、その背景を含め理論化している。

  小選挙区を現代の藩に見立てて、衆議院議員、都道府県議、市長村議、後援者などの役割と立場を示した所などは、ほとんど自分の見方と同じ、かつ、小選挙区制の構造を良くあぶり出していると思う(このパートは結構笑えます)。また、加藤紘一の「加藤の乱」を分析したコラムはちょっとうならせるものがある。

 そう、この本はおちゃらけ政治本のような体裁をまといながらも、実は、柱をそのままに書き直せば学術論文となる、そんな政治学の書でもある。

 著者の見方には賛否は在ろうが、日本の文明・社会を見るときの視座とは成りうる。

 まあ、でも、どこで治める者と巻かれる?者の線が決まるのだろう。血縁を含め上層部では階層の固定化が進んでいるんだろうけど、財界も官僚も政治家も、結局はある程度誰でも成るチャンスがある、そんな階層流動性のある日本社会を体現している政党・体制、それが自民党だ。

 著者が指摘するように、自民党的政治の限界もまた明らかになってきている今、人々がぬるま湯から飛び出て、新たな選択ができるのか? それを受け止める体制をつくることができるのか?日本の政治が大きな岐路に立っていることは間違いない。

 

  講評   ☆  4つ

 

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『シッコ SiCKO』 マイケル・ムーア

 連休中にマイケル・ムーア監督の 『シッコ』 http://sicko.gyao.jp/ をレンタル。

 アメリカの医療制度の貧困さと社会の矛盾を白日の下にさらした映画。

 国民皆保険制度が整っていない合衆国では、国民各自が民間医療保険に加入。しかし、加入条件は厳しく、たとえ加入できても審査が無茶苦茶厳しく保険が支払われない。あるいは保険会社や機構が認めない治療はできない(支払いが出来ないため医師が治療しない)実態を風刺を込めて描いている。

  その結果、指を2本切断しても、支払い能力から1本のみの接合をおこなうこととなる。映画では、お隣のカナダ、そして、イギリス、フランスの医療制度を引き合いに、地球上で最も豊かな国アメリカの医療制度が如何におかしな事となっているかを浮かび上がらせる。兎も角、アメリカは資本主義の国なんですな(アメリカ人は自由が好き、管理されるのは大嫌い、だからソシアリストも虫ずが走る)。

 折しも、民主党大統領候補指名レースが過熱していることもあり、国民皆保険制度導入に力を尽くしたヒラリーの援護射撃ともなっているような。

 日本では、75歳以上を対象とした後期高齢者医療制度が悪評プンプンのなか、導入され、大きな議論が巻き起こっている。増え続ける医療費をどのように負担して安心できる制度を維持していけるのか?社会保障でカバーする基礎部分と医療を選択できる民間保険のミックスを指向しつつあるように見える日本の医療について考えさせられた。
(日本の医療制度は英仏と米の中間で徐々にアメリカ型になりつつあるようだ)

 9・11の英雄である消防士が仮想敵国キューバで救われるラストは、強烈なアイロニーが効いてマイケル・ムーアの真骨頂である。 

   ☆ 4つ半     

   後期高齢者医療制度や米大統領選を紐解く上でも   お奨め

  

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森永卓郎 『年収崩壊』 角川SSC新書

 「年収300万円時代を生き抜く経済学」の著者、ミニカーマニアの森永氏の新書。

 以前に、この人の講演にいったことがあるのだが、ユーモアも効いていて、堅苦しくなく経済の話を聞けておもしろかったのを覚えている。

 著者は「今や年収300万円もままならない時代である」ということを各種のデータを挙げて説く。大企業の利益はあがっも、それは正社員から非正社員へのシフトによって成し遂げられ、格差は正社員 vs. 非正社員の間で、大企業 vs. 中小企業間でそれぞれ深刻化していることを明らかにする。そして、これらの格差の原因を政策、特に近年の構造改革路線に求める。

 数字には納得するが、日本経済が国際競争力を保ち、個々人の体感豊かさも増す構造改革路線に変わる代案を語ってほしかった。  

  氏は、人生のコースとして ① 勝ち組になろうと思って勝ち組になる、② 最初からあきらめてめて負け組になる、③ 勝ち組を目指しながら負け組になる と3つを提示する。③ が一番惨めで一番多いパターンとして、がんばらない生き方を提案している。

  後は、HOW to 資産運用 のような話。日本人は「これから」ばかりを考えて「今を楽しむ」ことが苦手という感覚があるのだが、変わりゆく日本社会の中で、真の幸せや豊かさとはを考える切っ掛けを与えてくれる本である。

  森永氏の話は「身の丈に合ったスローライフを」といった主張なのだが、氏自身は、テレビ出演や各地での講演活動、そしてベストセラーの印税収入と、とても年収300万円とは思えないので、そこのところ今一説得力に欠けるというのが実感(笑)。。

 講評   ☆ 3つ   

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寺島実郎 『二十世紀から何を学ぶか』(上・下)

 『二十世紀から何を学ぶか 上 -1900年への旅 欧州と出会った若き日本 』
 『二十世紀から何を学ぶか 下 -1900年への旅 アメリカの世紀、アジアの自尊』寺島実郎著-新潮選書 を読んだ。

 新潮社の雑誌に連載していたものを2007年、選書として取りまとめたもの。

 サブタイトルの通り、1900年前後、上巻は欧州の地で奮闘した日本人、下巻はアメリカとアジアとの関係に生きた日本人を通し歴史の中で日本とはを問うたもの。伝記のように人物を取り上げながら、当時の日本の置かれた状況と世界との関係を俯瞰する。

 取り上げられている人物は夏目漱石、南方熊楠、広瀬武夫、森鴎外、クーデンホーフ光子そして同時代を欧州の地に生きたピカソ、マルクス、ケインズ、ヒトラー、フランコetc

 クラーク博士、新渡戸稲造、内村鑑三、鈴木大拙、津田梅子、野口英世、高峰譲吉、大島浩、岡倉天心、ガンディー、チャンドラー・ボーズ、魯迅、周恩来etc.

 伝記兼旅行記のような気軽さで、当時の世界と日本の置かれた状況を人物のあゆみから浮き彫りにする本書は、気軽に時代をタイムスリップしながら歴史を見る目を養うことも出来るものとしてお薦めできる。

 国運と自分の人生が一体化できた時代の日本人の真摯な生き様に感動する。と共に、中国が台頭する21世紀のアジア・太平洋地域のなかで日本がどのような進路を取るべきか、日本と中国(アジア)、アメリカ、欧州との関係を考える視座を与えてくれる。

 ☆ 5つ

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日本の論点編集部編 『10年後のあなた』 文藝春秋社

  今日は都庁で三議連の平成20年度東京都予算への要望活動に参加。三議連とは自民党三多摩議員連絡協議会のこと。多摩島しょ担当の副知事をはじめ都庁幹部に要望書を提出した。

  その後、都庁内の書店に立ち寄る。都庁内の書店はスペースは広くないのだが、読みたい本は結構揃っている。役人向け品揃えという感じなのだが。実は寺島実郎の 『二十世紀から何を学ぶか』 上・下を入手したかったのだが生憎これがなく、代わりに手に取った平積みの新書がこれ。 

  タイトルは何やら予言めいているが、日本の論点編集部の既刊本 『10年後の日本』の個人編である。「日本の少子高齢化と格差化がこれからどんなことになり、私たちの身にどう降りかかってくるのか、可能な限りの予測を試みた」とある。各章の冒頭に人生のシュミレーションとして年代ごとのケースが示されている。

 読了後の感想としては、、、、  う~ん ん   暗いねぇ。。10年後は。
 読み進める内に、そして読み終わってみて、、わわ、、こんな人生にならないように準備しなきゃ とチジミ思考になっていくような気がした。

  人口減、超高齢化、格差拡大、、、これらを背景に個々の人生に襲いかかってくる現実。リストラ勧告を受けて後の10年、格差はますます拡大し、下流に落ちていくシュミレーション。子どもの教育も親の経済力次第。しかも投資をした子どもの学歴ももはやそれほど役に立たない。正社員とフリーターとでは年収とんでもない差が。 日本はますますアメリカのように階層や地域格差のある社会になっていく展望を示しているのだ。

  こどもは結婚せず、親にパラサイトして退職後の資金を食いつぶしていく。そうこうするうちに年老いた親の介護が降りかかる、、、   

 親子・家族関係の希薄化で、子や孫に囲まれての生活は望み薄。

 「論点」編集部編だけに、様々なデータに基づいた将来展望であり、ありそうなストーリーなのだろうが、団塊世代以下は茨の道で、団塊世代もだいたい奥さんから離婚を言い渡される、、みたいな話が多い。

  将来に望や夢がもてないと、守り、備えということが人々の意識の前面に上がってくる。中学受験ブーム、資格取得熱、個人投資家の増加など すべて自ら身を守るための自己防衛に人々が走っているとも言えよう。

 そうした意味では、社会が安心感を人々に与えていないということか。将来の混沌が不安を呼んでいる。政治はこうした不安を取り除かなければならない。

 確かにとは思う点は多いが、少しはポジティブな展望も示せないものか。

 とりあえず、10年後に悲惨な目にならないように、まずは家庭の絆をしっかりと。


 奥さんを大切にすることから始めましょう。

 ☆ 3つ半

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三浦展『格差が遺伝する!』(宝島社新書)

  著者は『下流社会』の三浦展氏。マーケティングアナリストの肩書きの著者が、小2~6年生の子どもを持つ母親1443人を対象に行ったアンケート結果をもとに教育の格差再生産を明らかにしたもの。

   教育問題に力を入れている良くしゃべる同僚議員が読んでいたものを拝借した。お手軽に読める(2時間コース)。多数の質問とそれに対応した図表をもとに、子どもの成績と他の要因との相関関係を提示する。

 例えば、「子どもの成績は親の経済力に比例する」、「食生活が成績の上下を分ける」ことなどを明らかにしている。なんとなくそうかな、ということをデータを用いて分析し、世の親であれば興味のある項目で一気に読んでしまう。

  多数の設問別カテゴリーと成績(上、中の上、中の中、下)の比較と、そこからの分析は単純。この単純さが取っつきやすい一方、ちょっと深みに欠ける印象にも繋っている。 

   ただ、結果は、ほぼ納得のいくもの。著者は、家族一緒に夕飯を食べることや一緒に会話を楽しむこと、家族で旅行に出かけることと成績との因果関係を通して、「生活の質」の格差が階層の固定化を生むと主張している。そして、サービス業の365日、24時間化にともない人が休んでいるときに働く人間が増え、こうした人たちには、いくら国家が「家族を大切にしよう」「子育ては親の責任だ」と声を上げても、そのための時間がないと主張する。

  その上で、「国全体として、夜中働くのをやめるとか、土日はしっかり休むことを徹底しない限り、そういう仕事をしている人は取り残されてしまう。この矛盾を解決しないと、いくら家族や食育の大切さを論じていてもむなしい。子どもの成績の格差を生み出しているのは、実は「収入の格差」だけではなく「生活の質の格差」なのだ」と言っている。ここが肝だ。

 教育、しつけ、青少年問題等々、ベースに横たわっているのはこうしたことであると思う。生活の質=豊かさを実感できる社会、家族が一緒に食事できる、母親がしっかりと子育てに時間をとれる、仕事にも復帰できる---その為の通勤の仕方、働き方、休日の在り方等々のシステムを見直さない限り、本当の質の高い生活は実現しないのだ。その中には国民全体の価値観をも見直す作業も含まれるのだろうが、、このシフトを実現することは政治の大きな課題であると思う。

 最後の母親4タイプ - のび太ママ、スネ夫ママ、しずかちゃんママ、ジャイアン母ちゃん。  自分の妻は…「のび太ママ」だな。

  ささっと読めて、ちょっと考えさせられる本。あなたは、そして奥さんは何タイプ? 夫婦で読んでみてはっと。。

   

   ☆  4つ

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加藤紘一 『テロルの真犯人』(講談社)

  昨年12月23日、ばったりとお会いした H さんから表題の本を頂いたのは以前書いたとおり。奥付を見ると、2006年12月18日 第一刷発行とあるから、まさに出版したてのホヤホヤを頂戴したのだ。封印しようと思ったのだが、結局、年内に読んでしまった。なかなか面白かった。

  これから忙しくなる(世の中もう選挙モード全開です)ので、書評は当分書けそうもないが(でも、高坂正堯「国際政治」が読みかけ)、、

  さて、著者は、元自民党幹事長、お公家集団とも揶揄された自民党派閥宏池会の元会長、加藤紘一。というより、2000年に森内閣不信任案に同調しようとした「加藤の乱」の殿様、と言った方が分かり易いか。加藤の乱というと、なんとなく奥州の豪族が中央に反旗を翻すも鎮圧される、といった図が浮かんでくるのは自分だけか?

  この本は、昨年8月15日に自宅、事務所に放火され全焼させられた加藤氏が、そのことをきっかけとして自身の言動を振り返り、これからの日本の在り方を展望したもの。小泉首相が終戦の日、靖国神社へ参拝するかで世間が注目する中、これに対してマスコミを通じて批判を繰り返していたのが加藤氏。

  前半は、氏の生い立ちから東大を経てチャイナスクールの系譜に連なった外務官僚時代。大平正芳氏との出会いと政界入り、加藤の乱までの自叙伝的なもの。

  本書の中心部分は第6章、第7章。氏の歴史観、靖国に対する考えを披瀝する。そして、戦前と比較し、現在日本の「闘うナショナリズム」の台頭を危惧。政治は決してナショナリズムを煽るべきではないと小泉手法を批判する。小泉政治の功罪はそれぞれにあると思うが、氏の切り口は一つの見方であると思う。 

  そこで、健全なナショナリズム=「誇りのナショナリズム」のもと日本を過たないよう、「教育」と「地域コミュニティ」の再構築が鍵であると主張する。

   確かに一国のリーダーたるのもにとってナショナリズムは慎重に扱うべき、留意すべきものなのだと言うことは良く分かる。過去の歴史を見れば、このことは明白である。

  本書の靖国に関する部分は、加藤氏の歴史観が語られ、多くのページが割かれている。その考えに対する賛否はともかく、「遊就館」は一度じっくりと見学せねばならない場所だと思った。どのような立場をとるにせよ、過去について知識を得て、自分なりのしっかりとした考えを持つことが、靖国問題を語る時の最低条件だろう。

  加藤氏が自らの信念に基づき発言することは勇気あることだと思う。この時期に本書を上梓したのは、政治家生活の来し方を見つめる集大成の意味もあったのではないか。

  途中、政治家語録は埋め草的で、余り意味無いのでは?

  ところでテロルの真犯人は、何者だったのでしょうか? 読んでみて下さい。

  ☆   3つ半

     

 

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『マオ 誰も知らなかった毛沢東』

  ユン・チアン 『マオ 誰も知らなかった毛沢東』(講談社)を読んだ。5月の連休中に購入してずっと読む暇がなかったのだが、入浴中や議会の合間に引き込まれるように上下巻1000ページほどを一気に読了。

  とても面白く飽きさせなかった。中華人民共和国の成立裏面史から冷戦下での共産主義陣営内での覇権を巡るせめぎ合い。毛沢東の飽くなき権力欲と東側陣営内のミニスターリンのような強烈な個性の独裁者達。まるで、戦国時代絵巻かと錯覚しそうだ。

  多くの関係者からのインタビューを元にした、これまで知られることのなかった毛沢東の素顔には驚かされることばかり。これを読むと北朝鮮の金正日などかわいいものと思えてくる。でも、たぶん実像にかなり近い描写だと思う。

  また、これまで起きてきた、あるいは今起こっている戦争や国際紛争、外交は思った以上に、各国リーダーの個性や考えが影響する不確実なものなのだと感じた。

  中国という大国を治めるには、強烈な統治が必要なのは分かるが、それにしても、お題目と余りにも乖離した現実といった共産主義の欺瞞性を改めて感じさせられた1冊だった。以前出かけた天安門広場に掛かる毛沢東の肖像が目の奥に蘇った。

 講評    ☆  5つ              

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介護

  今回、一般質問をする関係で、桝添要一『母にむつきをあてるとき』(中央公論社)と一関開治『記憶が消えていく アルツハイマー病患者が自らを語る』(二見書房)を読んだ。

  母に…の著者桝添氏は国際政治学者で現在参議院議員。北九州の実家で実母の介護の実践記で、実の兄弟との介護を巡る争いを含めた実体験を赤裸々に書いている。出版当時は介護保険法の成立前夜の時期であるが、今もここに書かれている介護を巡る問題は、本質的には変わっていない。当時、桝添氏と介護という一見ミスマッチな事もあり話題を呼んだ書である。

 これから、ますます高齢化が進み、介護の問題が身近なものとなる中で、本人の人権や幸せとともに介護家族の負担(時間、労力、経済面)を減じることは政治の課題である。最終的には、自分も周りもいつかはそのような時が来るという前提のもと、そうした体制づくりに税金の使い道をシフトすることへの合意を得ることが肝要だが、そのような時代になってきていると思う。

   記憶が消えていく…の方は、一面のひまわりで有名な北海道北竜町の町長一関開治が、町長在職中53歳の時に若年性アルツハイマーを発症し、2期目途中でそのことを世に告白し、町長職を辞しての闘病記である。

  こちらの方は、自分と同じ地方政治に関わる方の実話ということもあり、ショッキングなことである。が、若年性アルツハイマーという病も、なってしまう可能性はある。一般の認知症以上に本人も家族も大変で、現時点で社会的にフォローする体制も不備で、個人の忍耐と努力で介護を続けざるを得ないような状況にある。

  2日後には質問という段階になっても、これらの本を読んでいたのだが、それぞれに考えさせられ参考となった。  

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考察 団塊の世代。寺島実郎 『わらら戦後世代の「坂の上の雲」』 

  2007年問題の言葉が踊る。団塊の世代の大量退職による社会への影響を言う。

  6月議会での一般質問で市の財政問題を取り上あげようと思うが、八王子市も来年から10年以上に亘り毎年100人以上の退職者が見込まれている。行革プランでは平成22年の退職者は175人で、10年で1200人の職員が退職する。現在、職員一人あたりの平均の定年退職時の退職金が2800万。単純に年30億、10年で300億程度の退職金支払いが必要となる。

    しかし、日本全体では2006年からの4年間で定年退職者300万人が見込まれ、支給される退職金は、ナント80兆円!との試算がある。堺屋太一氏が「団塊」と名付けた塊が動くときの影響力の大きさを思い知る。

  ところで、質問の関係もあり、団塊世代について書いた寺島実郎 『われら戦後世代の「坂の上の雲」 』 (PHP新書)を読んだ。私も雑誌の連載コラムを愛読し、講演に出かけたこともある寺島氏は安定感のあるリベラルといった感じの元商社マンの論客だ。

  この寺島氏は1947年生まれの団塊ど真ん中世代。全共闘に揺れる学生時代から、10年ごとに自身が所属する団塊の世代論を書いたのが本書である。

  初期の(大学卒業当時)の文は、硬くて青っぽくて、やたら総括と言う言葉が出てきて、正直あまり面白くない。その後は、段々と読みやすく、分かり易くなり著者の円熟も感じることができた。

  実は、私自身は団塊世代にプラスイメージを持っていない。その世代の方々にしかられるかも知れないが、全共闘運動で大騒ぎして、長髪でフォークギターをかき鳴らしていたと思ったら就職時期になると途端に何事もなかったように仕事人間として要領よく社会を渡っていった世代、といった感覚だ。

  著者の団塊への筆も厳しい。「右肩あがり経済と戦後民主主義を培養液として育った私生活主義だ」と書き、「他人に厳しく自己に甘い生活保守主義者の群と化し、この世代は何かを否定したかも知れないが、社会的にはいまだに何も創造してはいない」と述べている。まあ、一言で言うと、ニューファミリー、身の回りのことだけよければ良いという身勝手世代と言っているのだ。

  1962年生まれの自分の世代も言える立場にないかも知れないが、指摘は当たっていると思う。しかし、厳しい筆が続く本書ではあるが、実は、寺島氏が言いたいのは、これで終わるな団塊世代という自らの世代へのメッセージなのだと思う。 

  国家や権力による強制ではなく、主体的参画によって公的分野を支える行動を志向することで、著者言うところの「新しい公共」を作り上げていくことができるか、これが後世、団塊が評価されるかどうかの試金石となる。

  笑ったのは、文中出てくる、残間里江子の 『 それでいいのか蕎麦打ち男 』 という本のタイトル。退職を控えて、蕎麦打ち、陶芸と内向きに個人生活にのめり込む団塊を叱咤した本の様なのだが、確かに、作務衣を着て蕎麦打ちをする人多いような、、、ちょっと可笑しかった。

  講評   ☆ 3つ半

  

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「東大法学部」

  水木楊「東大法学部」(新潮新書)を読んだ。

  実は、昨日は終日人間ドックで病院にいた。待ち時間がかなりあると思い、事務所の本棚の本を1冊持っていった。いや~、待ちが長くて、結果、読了。

  毎年、3月になるとテレビで東大合格発表の模様が映し出され、季節の風物詩となっているけど、皆さんの回りの東大卒の方はどんな風ですか?自分の今まで出会った、あるいはお付き合いのある東大または法学部卒の方々は皆、頭は当然良く、それをひけらかす風もなく、性格も良い人が多い。確かにあまりおしゃれな人はいないけど。何だ!と反感を持つようなイヤミな東大君にはあまり会っていない。

  この本は東京大学ではなくて、「東大法学部」というタイトルのとおり、東大の中の東大、官吏養成機関としての東京大学の生い立ちから、変遷、人材の供給先たる霞ヶ関の変質、そして最後にはエリート論を論じている。

  著者は、明治政府の国策として政官財各界に幹部候補生を供給してきた東大法学部が国家公務員と司法試験に向けた予備校であり、巨大な公共投資であったと述べている。事実、東大には毎年、国や自治体から1000億円を超える補助金(平成16年)が給付され、学校財政の7割が税である。

  本書では、東大法学部と表裏の関係にある霞ヶ関の官僚の影響力がどのようであったかを4つの時代区分で論じている。戦後、圧倒的に官僚が力を持ち政策を決めていった「官僚たちの夏」の時代から、徐々に調整を主とする役割となり影響力が減じていき、バブル期のモラル低下を経て、現在は小さな政府の流れの中で、若手官僚や現役学生達にとっても官が魅力ある場で無くなったと言っている。

  今の東大生は官僚志向より司法試験志向が強いようだ。また、各地の進学校では東大ではなく、医学部志向が強まっている。時代が変わって、官吏養成所たる東大法学部の役割は終わったというのが著者の主張。

  そして、戦前から東大に入ることで貧しい若者が社会でリーダーとして活躍できる、そんな能力により階層の階段を上る梯子の役割を果たしていたが、状況が大きくかわり、裕福な家庭の東大生に国費をここまでそそぎ込む必要があるのか、と疑問を呈している(東大進学者の家庭の平均年収が1200万、首都圏の中高一貫校の出身者割合が高い)。 

  最後は、「そこに高い山があるから登る」=自分は試験能力が高く偏差値が高いから東大を志望したという東大生の現状から、エリート論を展開するが、エリートとして必要な志や公のために何かをするという意識が希薄で、市場での成功(金銭至上主義)志向が増えてきていると警鐘を鳴らす。

  官僚の役割と力の変遷を論じた部分は、政と官のパワーバランス史としてお勉強ともなり納得のいくものだった。後半、戦前との比較での教育論、エリート論となとなっているのだがサラッとしたさわり程度という感じだ。

  今、格差社会本が多数出ているが、大体が次のような論調だ。正社員とフリーター、ニート、結婚できる若者と結婚できない若者、階層の固定化が起きている。そしてこの階層固定化は教育機会によって進展している。経済力のある家庭でないと塾や私立中高一貫校から一流大学へと子供を進学させることができず、裕福な家庭から良い学校、正社員へ、貧しい家庭は上の学校へも行けずフリーター化するというループができつつあると、教育論へと落とし込まれていく。

 本書も最終的には教育のありかたと社会のあり方に触れている。ちょっと薄味であるが。東京大学の変遷を知るには良い。

 講 評   ☆ 2つ半

  検査結果は血液も尿も全て基準値内。レントゲンも心電図も異常なしで至って健康。しかし、病院に1日いて血を採られたりしていると病人のような気分にってしまう。でも、結果が良いと不思議と元気になるものだ。

  元気ハツラツ。今日から、またバリバリがんばります。

 

 

 

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「ウエブ進化論」

 梅田望夫著「ウエブ進化論」を読んだ。面白かった。

 梅田氏はシリコンバレーに10年以上住みながらweb世界の変化を感じている。昨年夏、シリコンバレーの中心的な街サンノゼに滞在し、朝夕はそこら中にある無料のコートや壁打ち施設で毎日テニスをしていたが、スタンフォード大学までドライブの途中sunやhpなどIT関係の有名どころの研究施設を目にしたのを思いだした。太陽と緑の芝とテニスコートに溢れた明るい街という顔の他に、シリコンバレーが世界中の優秀なIT技術者を惹きつけて新たなwebの世界を切り拓いている中心地であるということを改めて認識した。

 本書でグーグルは技術者集団で徹底したテクノロジー志向であり、Yahoo ! は人間の介在に意義を認めるという大きな違いがある、というくだりは、ふ~ん といった感じだった。

  リアル書店( 一般の大手書店)では、ベストセラー書籍の売り上げが全売り上げの大半を稼ぎ出すのに対し、amazon.comでは売り上げの1/3が、それ以外の、一般書店ではコスト割れして扱えないような多品種・小ロットの書籍から成り立っているという事実。

 不特定多数無限大に対するアプローチコストが、ほとんどゼロに近づき、今まで見向きもされなかった小ロット商品の積み重ねで利益を得ることができる、新たなビジネスモデルが成立するようになってきているということだ。(そういえば、自分のブログも下の広告欄には、ジャズのことを書くとジャズの、霊園について取り上げれば墓地の、選挙を語ればだるま屋さんのアドが付く。受け手に応じたきめ細かな広告を打つ、これがグーグルのアドセンス事業なのかな。広告収入は入ってこない。たぶんニフティにいくのだろう。)

 米(シリコンバレー)ではネットのあちら側に、如何に付加価値を持つ世界を築いていくかに力点が置かれ、日本の場合は、物づくり力を生かしてネットのこちら側での勝負にしか興味がない状況が指摘されていた。ネットのあちら側の世界で勝負できるような企業がどんどん出てこないと、日本はweb2.0の時代に完全に遅れをとってしまうのでは、との危機感を持った。

  印象に残って考えさせられたのは意思決定について。「適切な状況の下では、人々の意見こそが、世の中で最も優れた個人よりも優れた判断を下すことがある」とのジェームス・スロウィッキーの仮設には、大変興味を持った。確かに、物言わぬ中間層が示す「常識」が把握できれば、それは、案外、専門家の答えより正しいのかなと思う。しかし、現実には「適切な状況下」が担保されるのが難しいのではないか。

 政治的な判断では特に担保が困難なような気がする。しかし、webが更に進化し洗練されることでそのような多数者の良質な常識が顕在的に示される状況が生まれてくる可能性はある。その時、国家の重要事項の決定などにどのように影響が及ぶのであろうか?これから10年の変化に注目したい。

  講評  ☆ 4つ半

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「はめられた公務員」

 3月定例市議会が昨日閉会した。実感としては、やはり長かった。以前、ブログに書いたが、今月はやるべきこと山積だったが、実際には、想定外のことも様々に起きて、結構きつい1ヶ月だった。3月議会で成立した予算や議案、おこなった質問などは、定例議会情報として一両日中にホームページにUPするつもりだ。

  昨日は、議会最終日の恒例として、会派の打ち上げがおこなわれた。その席で都出身の副市長と色々と話をしたが、私の一般質問(IT投資のムダ遣い)について、東京都のIT担当管理職当時の実感として、まったくその通りだと話してくれた。ちなみに、この副市長は当時かなりのIT投資に関わるムダを削減したそうだ。たぶん、都のIT投資は八王子市の20~30倍の額だろうから、削減効果もさぞ大きかったことだろう。

  さて、表題の中野雅至「はめられた公務員」(光文社)を読んだ。新聞広告でちょっと気になっていたのを議会図書室から借りてきた。気になっていたのは、著者のプロフィール。1964生まれ。同志社大学文学部卒。大和郡山市役所を経て、国家一種行政職試験合格、旧労働省のキャリア官僚に。本省課長補佐やハローワークなど出先機関、新潟県庁へ課長職として出向などを経験。市役所職員、県庁職員、国の出先機関勤務、キャリアとして本省勤務と、市、県、国の公務員を全て経験しているというところに興味を持った。

  一気に読んだ。言わんとしているのは、政官業の癒着により膨大な財政赤字を作ってしまった日本国と地方自治体。その真犯人は政治家であり、財界である。これらの責任をすべて官に押しつけて、逃げ切ろうとする政治家。

  2007年度から増税路線を進め、その前提として公務員のリストラが進められる。財政赤字の責任をすべて行政にかぶせて、政治家は逃げていく。その時、今までバッシングを受けていた中央官庁からバッシング対象が地方公務員へと向かい、いよいよ生け贄地方公務員の大リストラが始まる。といったシナリオ。公務員はその時になって初めて「はめられた」ことに気付く。

  なるほど、国、県、市の各職場での経験からの指摘は確かに、と思わせるものがある。自分も一般市、政令市での自治体現場や県庁や国の役人との交流(行政系大学院)の経験から頷く点は多かった。

  著者の見立てによる、これから数年間に自治体と中央省庁を襲うであろう大きな波。これを避ける、いや乗り切るためには、次のことが必要だと主張する。国と地方の関係-この国の形を明確にすること。地域間の競争が機能する環境を整備すること。その上で、受益と負担の関係を目に見える形にし、住民に納税者意識をもってもらう。成果主義を機能させるよう導入する。積極的な広報戦略を採る。

  要は、今の自治制度は、国と地方の役割分担が相互依存的で、地方はなんでも国の責任にして責任逃れができる。頑張っている自治体と、国のせいにして、努力せず全国均一政策の美味しい処を享受するだけの怠惰な自治体で差が付かず、モラルハザードが起きている。それは、地方公務員個人のレベルでも起きている。だから、もっと頑張った自治体、がんばった地方公務員が報われるようにしなければならない。そのための足かせをはずすべきだ。こんな感じだろう。

  概ね同意。そうすると、これからの数年というのは、自治体に於いて、更に改革の速度を上げ、その上で創意工夫による果実を住民に示さねばならなくなるということだろう。

  確かに、今の市に様々な権限がおりてきたら、地方公務員、地方政治家が、ルールに基づいた毅然とした決定ができるのか、という感じはする。自治体の規模による職員の能力差については実感として著者の言うとおりだと思う。

  面白いのは、華麗な経歴と野心だけはある二枚目若手 イケメン政治家が「すべては公務員の責任だ!」と叫んで、最終段階の大リストラへの口火が切られると言う点。著者は永田氏みたいな代議士に相当ひどい目にあったのだろう、などと想像してしまうが、たぶん、身近に政治家を見ている中で感じた、薄っぺらなポピュリズムと野心が我慢ならないのだろう。

 自分としてもこれから、やっていかなければならないイメージは浮かんできている。どんな時代に生きて、何をなすべきか?

 次は、梅田望夫の「ウエブ進化論」でWeb.2.0のことなどを早く読みたい。

 

   講評   ☆ 3つ

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